4月7日早朝に亡くなられました。癌の手術されて、元気に回復するものと思っていましたが、悲しく残念でなりません。心よりご冥福をお祈りいたします。
日程・場所などが分かりましたら、どなたか この欄にて教えて下さい。 注視しています。


10日 (月) 午後1時にうかがいます。


中国はパンダを外交の道具としていますが、武則天が日本に送った熊というのも実はパンダだったらしいとのこと。随分昔からの伝統だったようですね。
見づらくて申し訳ないのですが、投稿時の画像認証を漢数字に変えました。
少しでもスパムが減るといいかなと思います。
入力する数字は普通に半角数字で「123456」の様に入力して下さい。
最近 HP が見つけられなくて おかしかったです。 迷惑な輩が悪さをしていたんですね。 私のメールボックスにもフィッシング・メールが山ほど届きます。 ちょっと おかしいと思ったら、即削除です。 面倒ですが仕方ないと思って諦め、せっせと削除する毎日です。 送りつけて来るのもサーバーですから、メルアドを変えるしか手がありません。 でも あちこちに登録済みなので、変更も面倒です。
その間表示できていなかったと思います。ご迷惑をおかけしました。
店の事務にも使うので暴走すると固まってしまったりしてわかるのですが、このところ店は開店休業だったり・・・要するに暇なので気付かないことも多くて。
まあ、タダで拾ったノートパソコンなので性能的にもちょっとね。


その後一軒も変な書き込みがありません。


突然で脈絡なく記憶の断片がよぎりましたが、小学校のときに学校内に貸し傘が置いてあった様な気がします。
しかもその傘は茶色の和紙と木か竹で出来た無骨な和傘であったような。
今考えると全校生徒に行き渡るほどの傘を本当に用意してあったのか疑問も感じるところです。
記憶もあいまいで、実は幼いときの記憶なのかはたまた前世の記憶なのかと思うほどおぼつかない。
もし本当であったなら隔世の感があります。
どなたか同じ様に和傘が学校にあったという方はいませんか?


知り合いに聞いてみたら「いつの時代かね」と言われてしまったのでやはり違うかも。
でもド田舎の学校だから可能性もあるような。


見えた!


寅年の次は卯年と思いきや、国によって違うそうで猫年になる国が結構あるそうな。
ベラルーシがその一つだそうです。
ロシアの友好国でウクライナ侵攻の手助けをする国という事であまり印象はよろしく無いけど急に知名度があがりました。
ベラルーシに干支があるのもちょっと驚き。
ロシアなら中国系もいそうだからわかるけど。
他にチベットやタイなどもねこだそうです。
虎の代わりに豹が入ったり牛じゃなくて水牛だったり、国によっていろいろあるんですね。
昨日コロナ陽性が判明し、私も家内も濃厚接触者です。
ボケ老人は療養所も駄目で、しばらく仕事も休みで療養します。
さて、1928年は干支が戊辰。
戊辰戦争のときに生まれた人が還暦を迎えた頃父がうまれたという事らしい。
随分昔と思っていた江戸時代も、そうでもないのかも。




私も抗原検査をして陰性でした。
当の本人は罹患したことも理解していないようですが。




学校の東にあった平和堂。店は長く開けていない様子だけど外観はそのまま。50年も経ってるのにね。
あの食堂のかつ丼が 美味かったなあ。


で、根本さんが居たんですか?


皆様のお元気な顔が見られてなによりでした。
お忙しい中をありがとうございました。
画像版(2)に載せましたのでご覧ください。




人数がほぼ決まりましたので、会費が見積もれるという事です。
一人あたり13000円位になるそうです(人数に変更が無ければ)
元気アップ村のチェックインは15時30分からです。
食事は
https://satomono.jp/restaurant/09386/29857/
18時にBBQレストランツカハラ 予約済みだそうです。
よろしくお願いします。
ご無沙汰、失礼しています。連絡が大変に遅れて済みません。
実は私、この4月より体調が優れず、黄疸の症状が出ましたので、4月下旬に
地元の桐生厚生病院に2週間程治療の為入院しましたが、入院中の検査にて
胆管に癌が見付かりました。幸い体力もありましたので、5月下旬に手術出来る
前橋の群馬大学病院に転院の上、6月中旬に切除の外科手術を受けました。
近隣の臓器に転移防止の為、患部のみの切除の話では済まなくなったので、
十二指腸、胆嚢を含む胆管、胃の下部、小腸の上部、膵臓の一部を切除し、
繋ぎ直しの再建手術を含め8時間にも及ばんとする、切った貼ったのブラック
ジャックごっこの大手術となりました。
手術は無事終了し7月10日に退院して来ましたが、内臓の一部をいじった為、
その後が中々に面倒な事になりました。
体重は手術の前後で10Kg以上落ちましたが、食事制限が掛かっている為、
思う様には食べられず、体力の回復には当初思っていたより時間が掛かりそう
です。元気ではいたのですが、何をするにも力が出ませんでした。
加えて、切除した遠位胆管癌の組織検査の結果、癌はステージが2aとの事で、
8月10日からは自宅で飲み薬の抗癌剤治療を始めました。4週服用、2週休薬を
6回程繰り返す治療で、最初の3週は副作用も出ず、ヤレヤレと思っていた所、
4週目に入ってから可成り強烈な副作用が出ました。腹痛、及び倦怠感で動くに
力が入らず、食欲もまた落ちました。一寸、フラ付き気味になっています。
退院した時は、今度の誕生日頃には酒も飲めるかな? 等と考えていたのですが、
事態は考えていたより可成り深刻の様です。まぁ焦らずに養生に努めます。
と云う様な訳ですので、今回の同窓会は残念ながら出席出来ません。
カミさんの方は、私がこんな状況ですが、何とか出席出来ると思います。
以上、報告が大変遅れ、更には内容がロクでもないのですが、近況です。
宜しくお願いします。 BOS/ 大川 茂
尋常ならざる容体じゃないですか。 実は 私も火曜朝 掛り付けの胃腸科クリニックへ行って、1年半ぶりに診察を受けました (そこで4年前・5年前に大腸ポリープを取りました。 その直前に大腸洗浄しますが、あれはツラいです)。
私の場合は、月曜朝から 左脇腹に鈍痛を感じ、消えてはまた来るを繰り返しました。 火曜朝になって 前日より鈍痛の度合いが少し大きくなってきたので、胃腸科へ行こうと決めました。 出かける前にトイレに行って 朝の通じをしたら、大量に出てスッキリしました。 便秘気味だったのです。
クリニックに着いて、診察の申し込みをして待合室で腰掛けていたら、「おや 鈍痛が消えているようだ」と気付き、立ったり座ったりしてみましたが、確かに消えているか、殆ど感じない位になっています。
どうやら 大腸に溜まって便秘状態が2日ほど続いたので、それが憩室 (けいしつ) を圧迫して鈍痛になっていたのかも知れません。
憩室 (けいしつ) __ 消化管壁の一部が外側に突出し袋状になった状態。 大半の大腸憩室は無症状で臨床上は問題になりませんが、しばしば炎症を起こしたり 出血した際には早急な治療が必要となる。 形状は凸 (逆形状の凹はポリープ)。
血液を取って炎症かどうかを検査し、翌水曜日 また診察を受けることになりました。
普段から便秘気味なので、ここ何年か毎日 便を柔らかくするサプリメントを飲んでいますが、歳を取って段々と効かなくなってきたのかも知れません。 生前 父がいってました __「年は取りたくないものよ」ってね。
血液検査の結果は正常で炎症はなく、会計で安心料を払ってきました。 来月はまた1年ぶりに人間ドックです。
今は人生百年時代です。 大川さん めげずに ご自愛下さい。 一緒に百年を目指しましょう。 今日はここまでです。